羽生結弦が教えてくれたこと

2018-02-20
こんばんは

おちおち休んでいられない
時期が来ました。
こんな時期に元請けは
重箱の隅をつつきだすし・・・。

ふつふつと怒りが湧いてきました。



 スポーツって凄いな。日の丸メダルラッシュに沸く平昌五輪。
人間はどこまで可能性があるのかって感じさせてくれる。
フィギュアスケート男子66年ぶりの五輪2連覇を達成した羽生結弦。
異次元の世界を見せてもらった。

 昨年11月に右足首を痛め、ぶっつけ本番となった今五輪。
これまで頑張ってきたのが分かっているから金メダルじゃなくてもいいと思っていた。
でも、勝たなきゃいけないんだな。勝ったからこそ世界中の人たちに感動を与える。
会場が一つになったスタンディングオベーション。国の枠を超越した存在になった。

 優雅で色気すら感じさせる演技力。滑り終えて「頑張ってくれたな」と右足首をさすしぐさ。
素直な思いを表現する言葉…。どんな努力をして苦境を乗り越え、超人的な域に達したのか。
人生の縮図というか、いろんなことを教えてくれている気がする。これからの若い人たちのために
手本として残し、教科書の1ページを飾ってほしい。

 それだけの人生観、重さを持った23歳。その年でお金持ちになったIT長者もいるけど、
彼らには感動しない。うらやましいだけ。人々の心を揺さぶるのは、不断の努力で
積み重ねてきたものなのだ。

 スピードスケート女子の小平奈緒もやってくれたね。1000メートルはわずかの差で
銀メダルに終わったが、500メートルでは五輪新記録をマークして堂々の金メダルに輝いた。

 五輪3連覇ならなかった地元・韓国の李相花(イ・サンファ)と肩を抱き合ってのウイニングラン。
いろんな問題を抱える国と国の壁を乗り越えた瞬間だった。五輪を政治利用しようとしている国もあるけど、
政治色を取っ払うのがスポーツ。それを象徴するいい姿だった。

 実は宮崎でジャイアンツとホークスのOB戦が行われた10日夜、宮崎からソウルに飛び、
15日まで平昌に行ってきた。冬の五輪は初めて。滞在中に行われた室内競技は全て見た。
おそらくこれが最初で最後になるだろうが、五輪のあるべき姿をしっかり確認できた。

 帰国後に続いた金メダル奪取。さあ、与えてもらった感動を元気に変えよう。
みんな、下を向かないで頑張ろうぜ。

羽生ファン独特の“流儀”

2018-02-19
こんばんは

羽生結弦選手に宇野昌磨選手。
小平奈緒選手と嬉しい話題で
先週末は、素晴らしいニュースで
溢れていました。


昨年11月に右足首を痛めた男子フィギュアスケートの羽生結弦(23)=ANA=が、
ぶっつけで臨んだ平昌冬季五輪で圧巻の演技を披露した。海外のメディアは演技後、
ファンが大量の『くまのプーさん』のぬいぐるみを投げ入れる現象にも仰天。江陵(カンヌン)
アイスアリーナに“黄色い雨”を降らせただけではない、羽生ファンたち独特の“流儀”が
世界的注目を集めている。

 ショートプログラム(SP)が行われたこの日。会場には観客が午前5時頃から並び始めたため、
午前8時半の開場予定が約30分早められた。その約8割が羽生ファンとみられる。

 ラトビアのデニス・ヴァシリエフス選手が登場したときのこと。場内のあちこちで
ラトビアの国旗がはためいた。双眼鏡で確認すると、意外にも振っているのは
日本人らしき女性たちだった。

 五輪には、小国やスケートが盛んでない国の選手も参加している。そういう選手たちが
孤独を感じないように、彼らの国旗を掲げて応援しているのだという。“羽生以外は無視”ではない。
温かい空気がそこに流れていた。

 米国のスケート専門メディア『アイスネットワーク』は、米ボストンやフィンランドの
ヘルシンキで、日本のファンが日の丸だけでなく他国の国旗を持参していると紹介。
「素晴らしいスポーツマンシップだ。国際スケート連盟は日本のファンに『ドウモ アリガトウ』と
何度でも感謝すべきだ」と絶賛している。

 国内で行われる大会では、出場選手全員の国の旗を持ってくるファンも数多い。
これぞ羽生ファンの“流儀”だ。

 こうした羽生ファンのフェアプレー精神は、羽生自身の姿勢に則ったものといえる。

 羽生といえば、くまのプーさん。日本では本人お気に入りのアイテムとして知られ、
この日もSPの演技終了後、プーさんのぬいぐるみが約300個、リンクに投げ込まれた。
黄色に埋め尽くされた氷上をジュニアスケーターたちが拾い集めながら滑るのは、日本では
見慣れた光景だが、米NBCテレビ(電子版)が「羽生が演技後にプーさんのシャワー(雨)を降らせた」
と報じるなど、欧米のメディアは興味津々だ。

 ところで、この大量のぬいぐるみは、回収後どこへ行くのだろうか?

 羽生自身が明かした。「毎回やっていることなんですけど、現地の方、
今回だったら平昌や江陵の方々に寄付することに決めています」。

 ぬいぐるみは通常、地元の幼稚園、施設などに送られるが、それだけではない。
羽生は過去に、自叙伝「蒼い炎」(2012年)、「蒼い炎II」(16年)を出版した際、
かつてのホームリンクで東日本大震災で被災した「アイスリンク仙台」に印税総額約2000万円を寄付している。

 前回のソチ五輪では、金メダル獲得の報奨金として日本オリンピック委員会から300万円、
日本スケート連盟からも300万円を授与されたが、やはり被災した故郷の仙台市に寄付した。

 ファンぐるみの“羽生劇場”が世界中の人々の心をつかみつつある。

孤独と犠牲の上に涙の66年ぶり連覇

2018-02-18
こんばんは

18日(日)は強い冬型の気圧配置となり、
北日本の上空に強烈な寒気が居座る様です。



 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=が
フリー2位の206・17点、合計317・85点でディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。
冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。SP3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=は
202・73点、合計306・90点で銀メダル。冬季五輪では表彰台を独占した1972年札幌大会
スキージャンプ70メートル級(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)以来2度目の日本勢ワンツーフィニッシュとなった。

 何度もガッツポーズを繰り返し、氷上で羽生が雄たけびを上げた。まだフェルナンデスと
宇野の演技が残っていたが、勝利を確信した。右足首をさすり、氷を3度叩いた。
「ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。本当に右足が頑張ってくれた」。
66年ぶりの連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。

 演技構成は当日の朝に決めた。サルコーとトウループの2種類4本の4回転。
難易度の高いループは回避した。「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。
挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。「跳びたいとか跳びたくないとか
いう以前に、何より『勝ちたい』だった。勝たないと意味がないので、この試合は。これからの
人生でずっとつきまとう結果。本当に大事に、大事に結果を取りにいった」

 作戦は奏功した。映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、
続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、
この日は8本のジャンプすべてを着氷。最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた
右足でこらえ「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、
今回は何より自分に勝てた」。故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の
個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。

 昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。この1か月は痛み止めを服用しながら
ギリギリの調整を続けていた。韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。戦いを終え、口にした。
「本当に大変だったので。思ったよりも」。最初の診断は靱(じん)帯損傷。1か月後には腱(けん)と
骨にも炎症があることが発覚した。2か月も氷から遠ざかり「体力よりもスケートに乗ることの
不安の方が大きかった」。氷上へ戻ったのは年明けだった。最初の日はスケート靴を履いて
氷の上に立っただけ。翌日は軽く滑っただけ。もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。
慎重に進めていくしかなかった。

 陸上でジャンプのフォームとイメージを固めることに注力した。恐怖心はあった。3回転を
跳び始めたのは3週間前。4回転は2週間から2週間半ほど前。得意のサルコーは、右足を
体にうまく引きつけることができずに2回転でも苦戦した。4分半のフリーを滑りきるスタミナも
不安要素だった。陸上ではチューブを使ったトレーニングを中心に筋力を維持した。右足に
負担がかからないようにしながら、陸上で曲かけを繰り返した。関係者に「4分半持つ体力は
つけてきたから大丈夫」と告げた。

 2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。スケート靴のまま、
泣きながらはって外に逃げた。自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。リンクが
復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。
「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」。たくさんの応援に触れた。だから自身のスケートは
いつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。

 ソチ五輪以降は、リンク外でも注目を集めるようになった。週刊誌に追われることも増えた。
戸惑った。「僕はアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートと
プライベートって全く関係ないし、僕はアイドルじゃない。まあ、そのうち人気はなくなるんで
大丈夫ですけど。現役のうちだから」。そう漏らしたこともあった。孤独を覚えることもあった。
どんな時も、スケートが支えだった。

 12年に拠点をカナダ・トロントへ移した。自宅とリンクを往復する日々は今も変わらない。
コンサートにもスポーツ観戦にも出かけたことはない。昨季のSP、プリンスの「レッツゴー・クレイジー」で、
観客との一体感を味わった。しかし観客として、その興奮は知らない。「コンサートもライブも行ったことが
ないので分からない」と笑った。スポーツの現場に足を運んだのは、J1仙台のキックイン(始球式)と
プロ野球・楽天の始球式だけ。犠牲にするものも多かった。スケートで勝つことに全てを費やしてきた。

 「前人未到」という言葉が大好きだ。「圧倒的に勝ちたい」「劇的に勝ちたい」が口癖だ。
今大会日本の金メダル1号は、冬季五輪通算1000個目の金メダルでもあった。「スケートを
愛しているし、すごく幸せ。僕が一番大切にしている大会でまた、金メダルを取れたことを誇りに思う」。
故障だらけの4年間を、強い気持ちで乗り越えてきた。新たな羽生伝説の誕生だった。

対戦相手のSNSに韓国人が誹謗中傷攻撃

2018-02-17
こんばんは

いよいよフィギュアスケート男子の
決戦が今日行われます。
日本人のワン・ツーフィニッシュに
大いに期待できます。



 2月9日に開会式を迎えた平昌五輪。
13日に開催されたスケートのショートトラック女子500メートル決勝で、
2位でゴールしたはずの韓国のチェ・ミンジョン選手が、カナダのキム・ブタン選手と
接触したとして失格になり、ブタン選手が繰り上げで銅メダルを獲得した。

 これを受けて、ブタン選手のインスタグラムやツイッターに韓国人とみられるユーザーから
数千件の批判が殺到。なかには殺害予告まであり、同選手はアカウントを非公開にした。

 国際オリンピック委員会(IOC)が、「選手とそのパフォーマンスに敬意を払い、
彼らのこれまでの努力と五輪精神を支持することを、明確にすべての人にお願いする。
五輪は異なる国の選手が友愛の精神の下に競い合う場だ」と異例の呼びかけをするほど
事態は大きな波紋を呼んだ。

 実は過去にも、韓国のスポーツファンが選手の
ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を炎上させた事例はある。

 2016年のリオデジャネイロ五輪では、サッカーのホンジュラス代表が
韓国代表に勝利した際に問題が起きた。同大会では韓国のソン・フンミン選手の
兵役免除がかかっていただけに、韓国ファンは大荒れした。特に、ゴールを決めた
ホンジュラスのアルベルト・エリス選手のSNSには、差別的なコメントが数多く書き込まれた。
エリス選手はその後、インスタグラムに指を口に当てる仕草の自撮り写真をアップしたが、
「“黙れ”というメッセージではないか」と話題になった。

 さらにさかのぼると、14年のソチ五輪でも選手への攻撃があった。
スケートのショートトラック女子500メートルで、韓国のパク・スンヒ選手を転倒させたとして
イギリスのエリス・クリスティ選手のSNSに「死ね」といった殺害予告など、過激な誹謗中傷が
数多く寄せられた。クリスティ選手はフェイスブックに謝罪文を掲載したものの、逆に炎上して
アカウントの閉鎖を余儀なくされた。

 同じくソチ五輪で、フィギュアスケートロシア代表のアデリナ・ソトニコワ選手も、
SNSアカウントを韓国ファンに炎上させられた。韓国の大スターであるキム・ヨナ選手を
抑えてソトニコワ選手が金メダルを獲得すると、本人はおろかウラジーミル・プーチン大統領の
フェイスブックページにまで「金メダル泥棒」といった批判コメントが殺到した。

 韓国ファンが炎上させたのは、対戦相手国のSNSだけではない。

 昨年4月には、なんと韓国の五輪公式インスタグラムが攻撃を受けた。
同アカウントが、同月に引退を発表した浅田真央選手に向けて「未来に花道があることを願います」
「お疲れさまでした」と投稿したところ、キム・ヨナ選手と多くの賞を争ったライバルを称えたことを
許容できない韓国のフィギュアファンが激怒した。

 批判コメントが殺到したが、同アカウントはあらためて浅田選手の写真を載せたうえで
「お疲れさまでした」と綴った。すると、「意味がわからない」と、さらに炎上して収拾がつかない状態に陥った。

 今月25日まで続く平昌五輪だが、これ以上無用な批判を受ける選手が出ないことを祈りたい。

羽生がほぼ完ぺきな演技

2018-02-16
こんばんは

男子個人ラージヒルの予選が16日あり、
日本勢は4人全員が17日の本戦に進んだ。
冬季五輪史上最多8大会連続出場の
葛西紀明は22位だった。



フィギュアスケート男子ショートプログラムが行われ、
羽生は111.68点でトップ。音楽はショパンのピアノ曲「バラード1番」。
しっとりと滑り出し、冒頭で4回転サルコーに成功。予定していたループから難度を下げた。
フライングキャメルスピンと足換えのシットスピンはスピード豊か。
ジャンプの基礎点が1.1倍になる後半では、まずトリプルアクセルを余裕を持って決め、
4回転と3回転の連続トーループは2本目で両手を掲げる完成度の高さ。流麗なステップシークエンスは
音符のひとつひとつを表現するよう。最終要素の足換えのコンビネーションスピンの途中から大きな拍手が沸いた。
このスピンでレベルの取りこぼしがあり、自己の持つ世界歴代最高には届かなかったものの、五輪連覇に向け、
最高のスタートを切った。

羽生結弦の話 特に不満な点もなく、うれしく思っている。やるべきことはやってきたし、
(ケガで)2か月間滑れなかった間も努力をし続けてきた。(フリーでは)その努力を結果として出したい。
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